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ないちょの雑記帳・改
右へ左へそして斜め上、日々思想は駆け巡る。
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東日本大震災
宮城県を中心に非常に規模大きい甚大な被害をもたらした大震災が発生した。すでに死亡者数は阪神大震災を超え、被害地域も阪神大震災とは比較にならないほど広い。そのうえ、日本の原子力活用の歴史の上で最悪の事故も同時進行の状態となっている。

そのようなのなか、被災者は非常に悲惨で過酷な避難生活を送っている。TV等でその一端は垣間見ることはできる。そのような光景を目の当たりにして、”何かしなくては”と焦燥に駆られる心優しき人も多いと思う。

ただその前に以下の記事を読んでいただきたい。現状では素人のボランティアは足手まとい以外の何者でもない。私が参加しているSNS my日本 でひろった記事を読んで良く考えてまず身近ですぐに出来ることから始めてほしいと思う。
-------------転載-------------

この日記の大半は、とあるブログからの転載です。
このブログは、もうじき閉鎖されるようですが、どうしてもこのエントリーだけは、残しておかなければと思いました。

以下引用====================================


阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。
遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。
その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。
学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。
配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。
僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。
僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。

=================================引用終り

ブログ主は、災害時のボランティアを否定している訳では無い。しかし、ボランティアとして参加するには、自分を厳しく律する覚悟がいるのだと説いている。
正義感や思い遣りや情熱、熱血も大事だ。
だが、それだけでむやみやたらに突っ走るのは、利口ではない。
災害の現場に必要なのは、冷徹な程のリアリズムなのだ。
有限のリソースを用いて、最大限に救う為になにをすればいいのか、とことん合理的に考えて、淡々と動くことなのだ。

有事の際、求められるのは、適材適所に人を配置し、そこで各人が自分の能力を余す事無く発揮する事だ。それは、まるで機械のように正確に、淡々と。
怒りもいらない、悲しみもいらない、その時、一旦個人の感情のすべてを現実から切り離さないとならない。
その有事が一段落したとき、それはまとめていくらでも感じて味わえるものだから、そう、この現在進行形で救いの手を差し伸べなければならない今だけは、感じる事を自分に禁止してしまわないとならない。

そうなることに、全体主義の恐怖を感じる人がいるかもしれない。
でも、今は、今だけはそれが必要だ。より多くの人を助け、もう一度、賑やかで元気な日本を取り戻す為に。

ちょっとした意見の食い違いで対立する時間が惜しいほどに、今は緊急事態なのだ。

あたしは、関西にいて、新宿の募金活動には、参加できそうにない。
my日本の管理人さんの趣旨に賛同して、my日本に義援金を集めようとは思っているけれど、関西の仲間の中にも色んな意見の人がいる。
管理人さんの熱い想いも、どこの誰とも名乗りもしないアンチ連中に憤りを感じる気持ちも、よくわかる。
あたしは、管理人さんの日本を愛する情熱とその行動力と利他の想いを信じている。

だから、アンチの非難に、からかいの言葉に、挑発の言葉に、いちいち怒らないで、淡々と今為すべき事、募金活動をしてその収支を逐一公表すること。正しく被災者の救済に使われるようにする事だけに、気持ちを集中してください。

管理人さんの想いに共鳴している私達が、管理人さんに代わって、管理人さんの情熱を疑う人、否定的なことを言う人に対して怒りますから。
この活動の中心となる管理人さんは、ただただ、自分の信じる事に従っていつものように、にこやかにそして、パワフルに活躍してください。

-------------転載------------

いかがだろうか?私もボランティ自体を否定するつもりはないが、自分ができることを自分自身が具体的に理解していなければせっかくのボランティア精神もただのおせっかい、もっときつい言い方をすれば復興・復旧の邪魔となるということを覚えておかなければならない。

西日本のいくつかの自治体や現地の自治体で徐々にボランティアの募集が始まっている。そういう時期だからこそ、本当に被災地に、被災者に何が出来るのか考えて動かなければならないだろう。

追記:この記事の引用先の方からコメントを頂きました。その方のコメントも合わせてお読みください。

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コメント
この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
>myinva様
コメントありがとうございます。
コメントを受けて、追記を付け加えました。
よろしければまたお越しください。

ありがとうございました。
2011/03/21(月) 10:22:27 | URL | ないちょ #-[ 編集]
ご紹介ありがとう
元記事の主です^_^);;と言っても、あたしの記事も、半分は他の人の記事の引用だったりするのだが^_^);;

「助けたい」「なんとかしたい」「護りたい」そんな利他の情熱で行動することは、素晴らしい事だと思う。尊い事だと思う。
だが、その利他の行いをしたその人自身が、その行為をした自分を「素晴らしい」とか「尊い」とか「カッコイイ」とか思うものではないと思う。

ええ、知っているよ。手弁当で、道具を自腹で揃えて、少ない時間を工面してやってるその努力を、必死さを知っているよ。

でも、それでもその行いをしている当事者がその行為を為している自分を褒めるのは、不適切だ。
「素晴らしい」「尊い」「すごい!、カッコイイ」これらの言葉は、自分以外の他人にだけ向ける事が出来る言葉なんだよ。
自分にこの言葉を向けてしまったら、その尊さも徳も、すべてが水泡となる。

ということも、付け加えてくださると、なお、うれしい。
2011/03/20(日) 07:13:11 | URL | myinya #u5Vke3r6[ 編集]
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