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ないちょの雑記帳・改
右へ左へそして斜め上、日々思想は駆け巡る。
民主主義って・・・・・・・・・なんだろ?
最近、Yahoo!知恵袋で、民主主義ついての質問があった。
その質問ではすぐれた指導者であれば、独裁政治でもよいとお考えの方であった。
その質問に対し、小生は以下のように回答した。
----------------以下引用----------------

個人的にはすぐれた指導者だからと言って、全てを委ねるような選択はしないとおもいます。それは民主政治とは主権者が自らの意思で政策を選択ものであり、それこそが”民主的”な政治と思います。また優れた指導者はある一定期間しか統治できないため、その指導者がいなくなる(死亡する)と政策があっという間に滞り、大きな不利益を被ることになります。私見ですが民主主義はそういった欠点を補い継続的に政治を行っていくシステムでもあると考えています。

民主的な政治システムは、関係する国民などに対し、何らかの参加を求めます。それゆえ、国民などの負担は独裁的に政治を行うより多くなる可能性がありあます(投票以外の意思表示などで時間がとられる)。ただ、それこそが自らの意思を政治に反映し、自らの求める政治を行うための手段といえます。そのため、個人的には、民主的な政治システムを選択すると思います。

皆さんは民主主義をどう思いますか?僕はキング牧師やマルコムXみたいな優れた指...(Yahoo!知恵袋)

----------------引用終了----------------

「民主的な」とは結局、自らの参加ということが大前提でなければ成立しないシステムであり、そのことを飛ばして、「民主的な」政治システムは成り立たないのではないのだろうかという考えを小生は持っている。
総じて、民主的という場合こういった大前提を忘れて議論することはないだろうか?
民主主義はすべての政治的問題を解決する特効薬とはなりえないが、人類が模索し続けた政治システムの歴史の総体であろう。これは市政の民衆がみずからの運命を決定する方法論の模索の歴史でもあるといえるかもしれない。このような歴史を簡単にいえば、自らの運命は自ら決める方法論の歴史といえるかもしれない。

最近の政治状況や日本の置かれた国際的な環境などを考えるとそう思える。また、新興宗教をみると総じて、個人崇拝のような優れた指導者にすべてを委ねたりする傾向があるように思えてならない。この質問に回答するときにそのことを強く感じた。

大上段に民主主義とは何かを語るつもりはないし、新興宗教の個人崇拝を否定するものでもない。ただ、民主的とは優秀な誰かに与えてもらうのではなく、自分がいかなる負担を引き受けるのかという選択を自分の考え意志によって決定すべきものではないのだろうか?

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